市民・行政・協働

『市民協働』の前に、行政・市民の在り方を問う~ゴミ問題から~

市民が日常生活を送る上で発生するごみは、如何なる方法をもってしても消えて無くなることはない。ゴミを捨てる時、そのゴミの行く末を気にしながら捨てる市民はごく少数である。大半は、税金を払っているのだから、行政が何とかするだろうと思いつつ、捨てたゴミが目の前から一刻も早く消えてくれれば良いと思っている。

今、ごみ問題について、各地で環境・効率性・実現性・減量など様々な観点に立ち、討議、検討されている。こうすれば良い・こうするべきだと進言する市民・市民グループの提言・実践活動も日本全国で繰り広げられている。


町田市では、10年後の焼却施設の建て替えを踏まえ、ゴミの減量の施策と、資源化施設の分散化・資源化をセットで捉え、資源化・エネルギー回収・防災施設としての機能を持つ施設建設を目指し、市民協働で取り組んでいる。


理念として、「ゴミになるものを作らない・燃やさない・埋め立てない」を掲げている。為政者・製造者・経済活動者・消費者が、同じ理念を目指し、国を挙げてゴミ問題に取り組むならば、この理念に近づくことができるかもしれない。卵が先か、鶏が先かの議論になるが、より安価で、より利便性が良く、より快適な生活を消費者が望めば望むほど、理念から遠ざかっていく。協調・協働なしの理念の実現は、望むべくもない。


町田市政を考える会・草の根は、14回にわたって市民協働で開催された「ゴミの資源化施設の建設に関する意見交換会」の全てに参加した。市民の意見の大半が、個人・グループの主張に留まり、42万市民のゴミに対する認識・現状の把握・将来のゴミ行政に対する議論は、残念ながら皆無だった。

議論のないままの、「反対の為の反対」・「賛成の為の賛成」意見は、時には事実を曲げたり、無視をしがちである。行政は此処をしっかり捉え、説明していく必要があると思う。42万市民から、1時として休むことなく出されるゴミである。確かな受け皿がなく、処理の流れが少しでも滞れば、真っ先に不満を口にするのは市民であり、責任を問われ、批判を受けるのは行政である。


ゴミ問題に限ったことではないけれど、一人ひとりが、公にとって何が必要なのか、何が現実的なのか、という視点に立って考える事が出来る市民の比率は、町田市の民度を表すことになると思う。こうした市民の考え方がDNAとなって浸透すれば、将来、たとえリーダーが変わろうとも、政権が変わろうとも、町田市の良識として、諸所で生き続けるのではないのだろうか。


「市民協働」は、自己主張の場ではなく・利用する場でもなく・協力するだけの場でもない。行政と市民が、同じ目標に向かって、前向きに切磋琢磨する場ではないだろうか。双方が現況を把握し、合意し、最も良い方法を築いていくことこそが、市民協働の原点である。この原点の合意なくして、真の市民協働は成り立たないと思う。