市民・行政・協働

「緑のカーテン・プロジェクト・2011」にみる市民協働のあり方

一般的には、行政と市民が協働して「公共」の為に事業をすることを市民協働といわれている。請負・委託・助成など、金銭が介在する協働事業としてはNPO法人等が存在するけれど、運営は特定の団体・グループに限られている。フリーな立場の市民が、社会の必然性に応じて、行政と対等の立場、同じ目的で不特定多数の市民と共に、公益の為に取り組む市民協働事業はないものだろうか。

今回、「緑のカーテン・プロジェクト・2011」に参加してみて、社会・地域・市民が気がかりにしている事を具体的に目に見える形にして、市民・行政が共に参加する、市民協働の姿を見た思いがした。


東日本大震災にともなった原発事故により、節電を余儀なくされた社会状況と、市民の心配・不安を察し、何とかしようと行動に出た市民団体の活動に賛同した行政が、他部局にも働きかけ、はからずも市民協働の形が出来た。行政でなければ出来ない部分を行政が担い、市民は市民にしか出来ない部分を担い、協働してこの夏を無事にのりきる為の「緑のカーテン・プロジェクト・2011」を立ち上げた。


行政が参画したことにより、自治会・商店街・学校・保育所・老人ホーム・福祉施設・法人・戸建・集合住宅に至るまで、賛同者は町田市のほぼ全域に広がった。法人・民間からの寄付や、思いを同じくする市民による運営、無償の多くの労力で支えたことにより、お金をかけずに短期間に全市に広がり、4,5千世帯もの参加を得られたことは、市民協働ならではの実績かもしれない。


地域を活性化する・環境を良くする・安心して住める社会にすることは、市民すべての願いであり、義務でもある。税金を払っているのだから行政がするべきと、要求ばかりをして、あぐらをかいて待っているだけでは何も変わらない。さりとて、いつも同じ顔ぶれが集まる金太郎飴のような勉強会・講演会・会議を催すばかりの活動では行政の肩代わりをしている様なものである。地元市民が望む「あるべき社会」「必要とする地域」の姿は、当事者である市民が一番分かっている筈であり、その市民が立ち上がった時のエネルギーを、行政が後押しすることが真のパートナーシップ、市民協働ではないだろうか。


特定の団体に属していなくても、何とかしたいという思いで市民が行動に出た時、それが公益に結びつくならば、多くの市民の共感を得、更に行政の協力を得ることで広がりを見ることが出来る。本来、市民協働での公共事業は、あくまでも手段であって目的ではない筈である。目的は「公益」の為であり、その対価は「公益で」あることを教えられた「緑のカーテン・プロジェクト・2011」の意義は大きい。