市民・行政・協働

町田市が誇れる市民協働事業

約半世紀にわたり、町田市のごみを受け入れ、埋め立て続けた最終処分場が下小山田にある。産業廃棄物、分別もされない家庭ごみ、大量生産・大量消費を美徳とした時代に、どのようなごみが、どのような方法でどれだけ埋め立てられてきたのか、十分な資料もないまま今日まで使われ続けてきた。

2005年、すでに許容量に達したため、ごみの搬入、埋め立てを中止し、2007年、閉鎖に向けて検討委員会が立ち上がった。緑豊かな下小山田のこの一角を長い間見つめ続けてきた地域の市民は、この閉鎖に向けての取り組みを納得できる形で、次の世代に引き継ぎたいと、行政、市民協働で作業に取り組むことになった。


※閉鎖に向けて検討委員会の詳細は下記のリンク先をご覧ください。(町田市ホームページ)
町田市廃棄物最終処分場閉鎖等検討委員会
町田市廃棄物最終処分場周辺環境保全協議会

信頼関係を築いて

長い間、ずさんな管理で埋立地として存在し続けた最終処分場に対する地元市民の行政への不信感は強く、「専門家の選出は市民の意見を聞いて欲しい」、「名を連ねるだけの協働など論外」との強い意志があった。

全く専門知識を持たない地元市民は、独自で学習会を重ね、すでに他市での数々最終処分場閉鎖に関わり、実績のある梶山正三氏、関口哲夫氏を市に紹介した。市民の推薦した二人の専門家を中心に、情報の公開、情報の共有を基本にし、全てをオープンに、対等の立場で議論を重ね、合意を得て一歩一歩進めて行く方向で動き出した。


胸襟を開いて

行政にとっても、市民にとっても初めて体験する協働作業は、双方の目的、方法の一致をみるまでには、辛抱と忍耐の連続だった。「行政は勝手に決めないで欲しい」、「分からない事は後回しにしないで聞こう」、「議論して納得したら先に進もう」、というやりとりの中で、互いに作業の手順も身に付き、次第に信頼関係が生まれ、「役所は信用できない」というわだかまりは次第に消えていった。

「ごみを作らない 燃やさない 埋め立てない」という、ごみ政策の理念を石阪市長が明確に示し、具体化に向けてごみゼロ市民会議を設け、公募による市民によって、ごみゼロ社会に向けた数々の実証実験が行われた。このことは、市民にとって、町田市のごみ問題に対する本気度を測る上で大きな支えになった。そして、最終処分場の問題は市民自身の問題であり、ごみを排出する全市民を巻き込んで行かなければ本当の解決はないことに気づくことになる。


行動する市民

気づいた市民の行動は早かった。家庭に溢れているレジ袋を少しでも減らせないだろうか、生ごみを燃やさないで資源化したらどうだろうか、不燃ごみとして廃棄されているものの中にリサイクル、リユース出来るものはないのか、何より多くの市民が参加出来るような方法でなければ・・・と思いつくまま実践して行った。

その結果、リサイクル広場の開設、戸建・集合住宅用電動生ごみ処理機の導入、スーパー三和小山田店に於けるレジ袋廃止など、何れも行政と市民、企業の協働で実現するに至った。


急がれる施策

「ごみゼロ」を目指す上で、避けてはと通れないのがプラスチックの処理である。町田市は、町田市廃棄物等推進審議会を設け、生ごみ・プラスチックの処理に関する議論、実証実験の結果を踏まえて審議をしている。

改めて家の中を見回して見ると、プラスチックに囲まれた生活をしていることに気づかされる。買い物から帰ってマイバックの中を見ると、軟プラスチックが軽く10点はある。このプラスチックごみを焼却炉で燃やすと炉の痛みが早まり(燃やす事による有害物質発生は言うまでもない)、そのメンテに掛かる費用数十億を市民が払うことになる。完全に焼却をゼロにすることは不可能でも、焼却に回すごみを減らすことが出来れば、焼却灰も減り、メンテに掛かる負担を少しでも軽くすることができる。その為には早く数値目標を決め、具体策を審議していかなければ、新しい炉の規模も定まらない。

下小山田の最終処分場の今昔を目の当たりにした時、ごみが目の前から消えれば良い、燃やしてしまえば良い、処理施設が近くでなければ良い(子や孫が将来どこで暮らすか分からないから)、とは言っていられない実態が見て取れる。子や孫の世代まで、土壌・水質・大気汚染が続くことを考えた時、一日も早くごみ減量の施策を作り、具体策に入らなければ進展はない。


次世代に禍根を残さない為に

28年前、先進的な施設として脚光を浴びた「リサイクルセンター」だったが、当時を知る市民から、ごみ政策の理念として、すでにアメリカ方式か、ヨーロッパ方式を選択するのかの、議論があったことを知った。もし28年前、ヨーロッパ方式を選んでいたとしていたら・・・と、思わずにはいられない。経済成長に伴ったその後の焼却ごみの増加は言うに及ばない。

1、2年で変わる行政の人事、地域団体の役員の交代がありつつも、市民協働が貫けているのは、経験豊かな弁護士であり、活動家であり、理学博士、実践を伴った専門家である梶山、関口両氏の尽力と共に、長年ごみ問題に熱心に取り組んできた市民の力、なによりも「環境先進都市を目指す」という石阪市長の施政方針は、市民にとって力強い味方となっている。

専門家に,他に類をみない程ひどい最終処分場だと言われても、逃げることも出来ない地元市民が、実態を知った者の責任として出来る限りの努力をし、少しでも良い状態で次の世代に引き継ぎたいという議論は、市民・行政・協働で今も続いている。